日本の息苦しさとイギリスの自由な空気(2/7)

北ロンドンの公園 ロンドン生活

こんにちは!ロンドン暮らし2年を経て、現在は日本在住の栞です。

前回に引き続き、イギリスから日本へ帰国してから出て来始めた違和感や気づきについて執筆していきます。

今回はタイトルの通り「日本の息苦しさとイギリスの自由な空気」を対比しながら、違和感の正体を深掘り。

▼ひとつ前の記事は、こちらより読んでみてください!

誰と話していても”自分”は変わらないイギリス

イギリスで暮らして感じたのは「話す相手によって自分を変えていない」こと。

例えば、イギリスの職場では、話す相手が誰であろうと自分は自分のままで、上司、部長、立場が上の人と話すときと同僚と話すときで、人柄を切り替えることをしていなかったし、上司を見ていても誰と話すときもその人はその人のままでした。

日本では年上や後輩と話すときはちょっと気を使いながら接するし、上司と話すときはそのままの自分ではなく、何か心を「武装」したような気持ちで接していたのが、イギリスではそれをしている人が居なかったように思います。

日本では「先輩」「後輩」というラベルを貼られることで、その役割を演じようと自分らしさが覆われてしまっていたんだと気づきました。

私はチーム内では一番後に入ってきた身ではあるけど「年功序列」というものは一切感じることなく、年齢や出身国、入社時期を気にする人は一人もいませんでした。

だからこそ「日本人ひとり」という状況でも、すぐになじむことができたと感じます。

飲食店やお店のスタッフさんを見ていても、過剰な丁寧な接客というものを見かけることはありませんでした。

「接客が良くない、無愛想」と日本の人は思うかもしれないけど、スタッフとお客さんが対等だからこそ、フレンドリーに話せるし、裏表なく接客している感じがコミュニケーションを取っていても楽しい。

接客している姿と普段の姿で、人柄は変わってなさそうなのが、こちらも心地が良い。

一方、日本の接客では「この人は”スタッフ”という役割を持っていて、”仕事だから仕方なく”このような対応をされているんだろうな…」と、その接客の奥を感じ取ってしまうようになりました。

「役割」にあった自分をみんなが演じながら生きている。

「京都は本音を言わない傾向がある」とまことしやかに言われているけど、京都どころか日本全体が本音を隠しながら生きていると感じて、それが居心地が良くない原因のひとつだと気づきました。

多様性と自分らしさ、みんな違って当たり前

ロンドンを歩いていると、色んなバックグラウンドを持つ人を見かけます。

街中で英語以外の言語が聞こえてきたり、宗教や慣習に合わせた服装をしている方を見かけるのは日常茶飯事。

「みんな違って当たり前」だから、私自身「自分が外国人、移民」と感じながら生きることもなく、自由な気持ちで過ごせました。

日本にいると「栞はこういう人」「女性はこうあるべき」「○歳ならこうあるべき」というラベルを貼られて、それを演じがちな部分もありました…当時から違和感はあったけど、そういう社会だから仕方ないと思っていました。

でも、そういうラベルを貼る人はイギリスにはもちろんいなくて、そこで出会う人たちも表面的な私ではなく、より深い部分で私という人間を見てくれていたように思います。

「そういう風に思ってくれてたんだ…!」と嬉しくなったことも多々。

私は日本では「大人しい、シャイ、クール、人見知り」と、周りの友人や親戚、家族にも思われていることの方が多かった。

でもイギリスでは「静かだけどシャイではない。勇敢。自発的。めちゃくちゃアクティブ。いつもニコニコしてる」と言われたことしかなかった。

これを聞いたときは「えぇ⁉私が…ニコニコしている…⁉」と自分でも驚いたんですが、私は元々後者だったけど、社会に揉まれたことで前者になっていたんだろうと思います。

イギリスでは出会って数か月という短期間であっても、その言ってもらえることが多くて、表面的ではなく本質の自分を見てもらえていたことに、とてもありがたく嬉しく、幸せに感じていました。

日本は学校教育の時点から「調和を大切にする」ことを教え込まれてきた。

だからか、周りの目を気にして周りからの期待を背負って、他人軸で生きている人が多いように感じます。

「こうしなければならない」という暗黙であれ、そうでなかれ、ルールが多すぎる。

これらが今までの日本の秩序を守ってきたのは事実ではあるけど、ロンドンでは自由でありながら秩序が乱れているような空気感は私は感じませんでした。

みんなそれぞれ自分軸で自由に楽しく生きているけど、「自分勝手」とはまた違う。

自分らしく生きながら、多様性の中でみんながその個性に敬意を払いながら共存しあっているのが、とても居心地よかった。

また、内面の部分だけではなく、外見の部分でもイギリスの方が心地よくいられました。

日本だと近くのスーパーまでヨガパンツ+どすっぴんでは行きづらいし、髪が広がりやすい私はヘアサロンに行くたびに「そろそろ縮毛矯正かけたほうがいいですね~」と言われたり。(営業トークの一部だろうけど)

「癖毛を活かすのではなく、ストレート、まっすぐであるのが美しい」という概念を押し付けられているようで、違和感がありました。

イギリスではヨガパンツ+どすっぴんで近くのスーパーまで買い物は全く問題なくできたし、私のこの髪も「そろそろ広がってきたから縮毛矯正あてたほうがいいかな~」と言うと「え⁉どこが広がってるの⁉絶対いらん。そんな化学物質、髪の毛に悪い」「縮毛矯正ってスパゲッティみたいになるやつやろ?楽しくない!」と、リアクションが違いすぎてびっくり。

「あるもの、持っているものを活かす」という考え方がとても素敵で、「こういう姿であるべき」を押し付けられないのがあまりにも良かった。

私にとっては「日本人女性として日本で生きること」よりも「イギリスで外国人として生きること」の方が気楽で、自分らしく深呼吸しながら生きることができていたと強く感じます。

電車や道での譲り合い、助け合いの心

周りのYMS帰りの友人と話していてもみんな口を揃えて言うのが「日本人、平気で無言でぶつかってくるし、電車でも我先と必死に座ろうとする人が多い」。

私もこれが日本に帰ってきていちばんカルチャーショックだったことです。

ロンドンでは、立ってたところの前の席が空いたら、隣に立ってた人と「座る?」「いいよ、あなたが座って」「ありがとう」という会話が生まれる。

「どうぞ」って譲られた女性が「Are you sure? Thank you」とまで言う姿も。

特に女性と子供に対しては必ずと言っていいほど「どうぞ」と譲ってくれます。

お店の入り口や道での譲り合いでも「After you(お先にどうぞ)」と、お互いに譲る文化があってそれに対して「Thank you」と言うし、もしぶつかりそうになったりしたら「Sorry」と必ず言う。

それは人として当たり前のことで、このThank youとsorryだけで気持ちよくなれる。

このイギリスの文化素敵だなぁ、Sorryを使うタイミング、日本と似てるなぁと思ってたものの、帰ってきてびっくり。

電車では手をシッシッ🖐️としながら一つ空いてる席に向かってくる人、ぶつかっても何も言わない人があまりにも多すぎる。

人と人と思っていないような、まるで「モノ」とでも思っているかのような感覚にがっかりしました。

まとめ

日本を息苦しいと感じる全ての要因は「心の余裕のなさ」だと思います。

「完璧でいなくちゃいけない」「ちゃんとしないといけない」「だけど、できていない」と感じてしまっているからなんだろうけど、これってどうにか根本から変えられないものなのか。

私も完璧主義な方ではあったけど、イギリスへ行ってから「まぁいっか」「仕方ない」と思えるようになりました。

電車が遅延していてもキャンセルされても、それさえも気にならなくなった。

小さな幸せ(晴れているだけで幸せだなぁと感じたり)をたくさん見つけることができ、知り合い・他人に関わらず、周囲の人たちにも優しく、温かい気持ちで接することができるようになったと感じます。

日本も完璧主義から抜け出して、「まぁいいや」「仕方ないか」と心を緩めて生きていける社会になれば良いなと願うばかり。

そんな社会になるように、こうしてブログで執筆したり、ZINEの出版をしたり、イギリスと旅で得たものをしっかりと還元していきます!

次回は、帰国後に悲しくなった出来事について、赤裸々に綴っていきます。

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