前回の記事はこちら↓
こんにちは、Rukaです!
今回は渡英1年の振り返りシリーズ、最終章です。
イギリスで暮らし始めて1年、私の中にたくさんの変化が生まれました。
以前の私と比べると、物事の捉え方や日々の過ごし方が大きく変わったと感じます。
この記事では、そんな私の心の変化をいくつかのテーマに分けてご紹介!
自分の記録として残すだけでなく「海外で暮らす(新しい挑戦をする)とこういう変化があるのか、自分もトライしてみたい!」とたくさんの人に思っていただけたら嬉しいです。
幸せの基準と考え方の変化
- 幸せのハードルが下がった
- 自分自身と向き合う時間が増えた
- 新たな物事の捉え方を得られた
幸せの感じ方
自然に目を向けるようになった
サマータイムが終わると、一気に日が短くなり曇りの日も圧倒的に増えます。
なので、晴れてるだけで「晴れてる~!!」と幸せをかみしめることができるように。
本当にこれはイギリス在住の全日本人は感じているはず(笑)
今住まわしてもらっているご家族の子供たちも、朝晴れていたら「ちょっと!外見てみて!晴れてる!」と両親を起こすほど(笑)
また、日本同様、秋には紅葉、春先には梅や桜も見られます。
日本にいた時は「もう春だな~」と季節の移ろいを感じていただけで、四季の変化を当たり前に思っていました。
それが今では、季節とともに自然の風景が変化していくことの「美しさ」にも幸せを感じるようになりました。
利便性が低下した分、内面にフォーカス
そして大事なことがもう一つ。
日本に比べてコスパの良いスキンケアは種類が少なく、服も値段の割に質が良くなかったり、美容師免許は不要なのでローカルなヘアサロンは信用できないし、日系サロンは高すぎて手を出しづらかったり…
「日本にいた時と同じ基準で、自分の見た目を整えること」はかなり難しくなりました。
この便利さが少なくなった代わりに「自分の外側を着飾る」ことへの興味は今は薄れ、「自分の内側を満足させること」にフォーカスできるようになった気がします。
ヘアカラーしたりシーズンごとに新しい服を買ったりすることをしなくなり、散歩するだけでリフレッシュ出来ることに気づけたり、色んな場所へ旅して新たな自分の内面に気づけたり。
自分の「外側を着飾ろう」とするのではなく「心や内面を心地よくさせることの重要さ」を理解することができました。
自分自身と向き合う時間が増えた
晴れてるだけで幸せと感じられるほどに心に余裕ができて、自分に向き合う時間が増えました。
日本では仕事に疲弊して「自分の好きなこと、大事にしている価値観、得意なこと」と「その理由」とかを考える余裕がありませんでした。
イギリスに来てからは
「なんで私はこれを好きなのかな?」
「旅行に歌舞伎鑑賞にコンサート鑑賞にetc.多趣味だけど、これに何か共通点あるかな」
「これが苦手だから、あの時葛藤していたんだな」
と深い部分で自分のことを理解でき、過去のコンプレックスも受け入れられるようになったことが大きい変化です。
新たな物事の捉え方を習得
ひとつ前の段落でもう書いてしまっていますが、自分自身についてより理解できるようになりました。
それまでは「今が楽しければオールオッケー!」というスタンスだったのが「人生って伏線回収の連続だな」と感じることがめちゃくちゃ増えました。
そのおかげで「過去を振り返ること」も大事だと気づき、「点」で捉えられがちな物事、全部「線」で繋がっているなあと。
今を楽しみながらも時々過去を振り返ってみることで、「あの出来事、今のここに繋がってる!」と発見できて、未来にも期待や自信が持つことにも繋がっていくと思います。
新たな能力の発見
イギリスへ来てから、色んな能力開花してるなと本当に感じます!
恥ずかしながらずっと実家暮らしだった私ですが、大円安祭りの中、異国の地で自炊をするようになり、掃除洗濯もして、職場へは毎日お弁当も持っていってる…めちゃくちゃ成長!
あとは、ロンドンから他のヨーロッパの国へのアクセスがとても良いので、弾丸で週末海外旅行へ行くくらいのアクティブさを習得。
日本では土日のうち、1日は家から出るようにしていたけど、残りの1日は家に引きこもるという生活していたとは思えない…
仕事でも「私すごいやん!」と思い、兄弟からも「イギリスで急に能力開花してるやん」と言われたことが。
あるイベントに参加させてもらった時の私の役割が「ネットワーキング」
そのイベントでは事前に他の企業とのMTGが予約されていますが、全社がその予約が埋まっているわけではなく、会場内では手持ち無沙汰にしている方もいます。
私はの役割は「そういう人たちに話しかけに行く(=営業しに行く)」(しかも英語で!)というものでした。
前職は金融事務だったので、そういうイベントに行ったこともなければ、仕事で社外の人とやり取りするようなことも滅多にありませんでした。
全くの未経験且つ英語というだいぶハードル高めの状況だったものの、何とか複数の人たちに話すことができました!
「接客とか直接不特定多数の人と話すのが得意じゃない」ということもあり、オフィスワークを選んだ私。
人間は窮地に追い込まれて「何とかせなあかん」状況に陥ると、苦手と感じていたこともやってみればできるもんだなと気づかされました。
これって何にも通じますよね。
「どうしよ」「不安」「無理かもしれない」と恐れていたこと、一歩踏み出してしまえば何とかなる!
大事な価値観を発見
色んな出来事が私が大事にしている価値観を気づかせてくれました。
それは「表面的なことではなく、物事の本質・本物の価値を大事にしてる」ということ。
それに気づかせてくれたのは、セルビアでの旅とハリポタの聖地巡りです。
セルビア旅で気づいた旅の醍醐味
旅の醍醐味は、歴史的背景・文化を自分の肌で感じること、自分の視野を広げて新たな一面を発見できることだと気づきました。
非日常的な綺麗な景色や街並みを見ること、美味しいご飯を食べること。
もちろん、これも自分を幸せにしてくれる要素ですが、「旅」を特別にさせるのは、自分の心・内面のもっと深いところにある。
インターネット発達のおかげで、色んな情報・写真・動画をいつでもどこでも簡単にチェックできる時代になっています。
でも、実際自分がそれを経験してみないとその価値・実態はほんっっとうにわかりません。
自分自身の五感を使って体感すると、インターネットで得た情報との違いを発見出来たり、ほんの小さなことでも「私ってこんなことも挑戦できるようになったんだ」と思えたり。
それこそが旅の醍醐味だと実感しました。
↓気になる方は以前執筆したこちらの記事を読んでみてください
ハリポタ聖地で気づいた私の興味の対象
ハリポタファンの私は聖地であるワーナーブラザーズのスタジオツアーにも参加し、オックスフォードやエディンバラにも訪れました。
スタジオでは映画で使われた衣装が展示されていたり、映画のセットが再現されていたりしました。
それでもめちゃくちゃ興奮していたのですが、オックスフォードやエディンバラで感じたものは格別!!
オックスフォードでは実際に撮影が行われた大学のキャンパスにも行きました。
偶然その日が大学の入学セレモニーが行われていた日だったので、街中にはユニフォームをまとったオックスフォード大学の新入生で溢れていました。
それも相まって、本当にホグワーツに来たような感覚に。
エディンバラでは、J.K.ローリングがハリポタを執筆していたカフェ(当時からは移転済み)に訪れてみたり、ブラブラ自由に街探索してみたり。
ふと目に入った光景が本当にハリポタの世界観そのままで!
映画に繋がっている、実際そこに存在している世界や雰囲気を体感できていることに、街歩き中は幸せすぎて心はワクワクでいっぱいでした。
この経験から私は、好きな作品のモデルに実際なったところへ足へ運び、作者が見て感じた世界を自分の目で見て感じることが、私の心を一番ワクワクさせてくれると気づきました。
芸術やエンタメに対する見方の変化
絵画や彫刻にはかなり疎いものの「無料だから」という理由で、ロンドンのミュージアムには頻繁に足を運ぶ姑息な私。
写真の展示に行ってみたところ「面白い!」と感じて、この差はなんだろうと考えてみたのです。
絵画を見ても絵画そのものを楽しむというよりかは「どこで描かれたんだろう」「モデルになった場所、実際描いていた場所に行きたい」と思うことの方が多いです。
これはひとつ前のセクションでも言及した「実際に行って五感でその雰囲気を感じることに価値を置いている」からだと思います。
写真に価値を感じたのは、
- そこからリアルな雰囲気が伝わってくること
- 作者の意図によって作りこまれた感じがあまりないこと
- 「現実」を切り取ってはいるけど常に変化し続けていること
これらの要因もあって、写真には興味を示せたのかなと自分なりに分析しました。
写真でも特に自然風景や街並みが好きで、それは時間帯、天気などで見える世界が変わってくるのが面白いなと感じます。
振り返ってみると、実際に旅の行き先として選ぶところ、心を圧倒されるほど印象的なものがあるところは、全部自然に関係するところだと気づきました。
他にも以前はただのエンタメとしかとらえていなかった漫画や映画も、今見返してみると
「めちゃくちゃ深い!」
「あの時は理解できなかったけど、こういうことか!」
と違う視点でそれらを楽しむことができるようになりました。
私が最近めちゃくちゃ刺さったセリフはNARUTOのイタチのこのセリフ。
人は誰もが己の知識や認識に頼り、縛られ、生きている
それを現実という名で呼んでな
しかし知識や認識とは曖昧なモノだ
その現実は幻かもしれない
人は皆、思い込みの中で生きている
そうは考えられないか?
「NARUTOって小学生向けだと思ってたけど難しくない!?」とNARUTOが深いと感じられるまでに、感受性が大爆発しています。
時間と効率に対する考え方の変化
別の記事でも紹介しましたが、電車や飛行機も遅延はよくあります。
飛行機に至っては遅延の理由もよくわからんまま、待たされ続けている…という状況もしばしば。
関西出身で基本的にはめちゃくちゃせっかちな私ですが「まぁいいか、のんびり行こう」と思えるようになり、「仕方ないか」で済ませられるようになりました。
こういう風に生き急がなくなったのにはもう一つの要因があります。
最初の方の「新たな物事の捉え方を習得」パートでも話していますが、「過去・今・未来」は全部繋がっていると気づけたからです。
「無駄だな」「全く進展しないじゃん」と一見思えるようなことでも、後になって
「あの時間、全く無駄じゃなかった!」
「表面的には進展ないけど、水面下と部分で実はめっちゃ進展してたんや!」
と感じることがこの1年でとても増えました。
数日前に行こう!と思い立って向かったメイン目的のお店が想像と少し違って結局入らず、その周辺を街探索したことが数か月前にありました。
そしたら、以前に「あのお店行きたいな~でも近くにないな~」って思っていたお店に偶然たどり着いたり、素敵な公園にもたどり着けたり。
「行かない」という一見ネガティブな選択と思えたことが、別の良い目的地に行けたことで、どんな選択も意味があるものなんだなと思い知らされました。
こういう経験を何度も体験して「人生1秒たりとも無駄な時間はない。全部が繋がっていっている」と、人生の本質の部分にも気づけたのはとても大きかったです。
1人の楽しさと人との関わり
私は日本にいるときから一人行動が全く苦にならないタイプ。
行きたい展示会や見たい映画とかあっても、友達を誘わずに一人でパパーっと行っていました。
なので、渡英してからも最初の方は一人旅をよくしていました(なんせ急に思い立って数日前に電車のチケット取ったりしてたもんで)
それがだんだんこちらでも友達ができ、一緒に旅行行くようにもなって「一人でも楽しいけど、誰かと一緒ならもっと楽しいな」と気づくことができました。
一人旅だと食事はメイン一品だけとなりがちなところ、いつもよりご飯多く頼めたり、街歩きしている中での発見や感動をその場で共有出来たり。
一人行動と誰かと一緒に過ごすこと、それぞれの楽しさを知れて幸せ倍増!!
また、これは日本へ一時帰国して気付いたことですが、本当の人間関係において「会う頻度」「連絡頻度」など表面的なことと「どれだけ繋がっているか、波長が合うか」は関係ない、ということ。
友人や前職の同僚にも1年ぶりに会って「全然久しぶり感ないね。何なら明日会社で会いそう」とも言ってくれたり、1年会ってない中でも久しぶり感が全く感じられませんでした。
また、高校卒業以来会っていなかった友人(高校の時も遊んだりはしてなかった)にも会ったところ「10年以上ぶり感」がなく、全く話がつきませんでした。
こういう経験から、連絡頻度や会う頻度で親密さを測りがちだけど、本当に波長が合う人、縁のある人とはそんなの全く関係ないと知ることができました。
まとめ
実際にイギリスで住み始めてみて「『海外行くと人生変わる』は行った人、挑戦した人にだけ分かる感覚だな」と学びました。
長々と書いてしまいましたが、私が海外に来て「自分が変わったな」って感じるのは大きく分けて二つ。
- 自分のことを深い部分で理解できるようになった
- 新たな物事の捉え方を得られた
これらも自分一人で内省だけして得たものではなく、たくさんの人と出会ってお喋りする中で気づいていったものです。
できるだけ色んな人と出会って、色んな場所へ行ってみることで、本当に視野が広がっていくんと実感した1年でした。
これを読んでくださっている皆さんは「海外挑戦で自分探しって、ほんまに?見つかる?」って、多少は不安・疑問に感じられていると思います。
どういう風に実際に変わるのか?が具体的にわからないから想像しにくいだけで、でもそれが新しい一歩を踏み出すのに、躊躇してしまう要因でもあるんですよね。
私のこの正直な実体験談が、みなさんの「新しい挑戦をした未来」のイメージを描くきっかけになりますように!
出不精の私でも行動できたので、皆さんにもできます!
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